レイキのはじまり

レイキ創始者:臼井甕男

臼井甕男

臼井甕男

レイキの創始者は、臼井甕男(うすいみかお)氏です。

 臼井氏は京都の鞍馬山にて3週間の断食を行い21日目に、一大霊気(と感じ取られたエネルギー)を頭上に感じ、悟りが開けると同時にレイキ療法を得られました。その後、彼が手を触れると周りの人々に次々と、癒しと浄化が起こるようになりました。この喜びを独占することはできないと、大正11年に臼井霊気療法学会を設立し、ヒーリングを行う傍ら、希望する人いレイキの伝授を行って治療能力を与えました。

お弟子さんたち

林 忠次郎

林忠次郎

林忠次郎

 臼井氏のあとを継いだのが、退役軍人であった林 忠次郎(はやしちゅうじろう)氏でした。彼は臼井氏からレイキを学び、東京でレイキクリニックを開き、常時16人のレイキヒーラーでヒーリングにあたっていたと言われています。

高田はわよ

高田はわよ

高田はわよ

 林氏のレイキクニックで治療を受けた人の中に、ハワイ生まれの日系2世、ハワヨ・タカタ女史がいました。彼女は、難病のため余命幾ばくもないと医師から言われていましたが、8ヶ月間のヒーリングの後、完治されました。そして彼女は林氏からレイキの指導を受けて、自らもレイキ・マスターとなったのです。

 その後彼女はハワイに戻り、レイキクリニックを開き、多くの人を癒しました。そこでは治療に専念して、ほとんどレイキの伝授は行いませんでしたが、亡くなる少し前からアチューンメントを行い、1980年に80歳で死去するまで、22人のレイキティーチャーを育成しました。
その後、20年間ほどのうちにレイキは欧米諸国にて飛躍的に広まり、現在では世界におけるレイキの実践者は500万人以上にものぼると言われています。